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  洲本市の概要

 
 
 
    
 
 
 
  shisyou
 
 
 
  洲本は往古海浜の洲にあったので、地名を洲本と呼ぶようになりました。
  これに因んで洲浜の紋をもって市章と定めています。
 
 
  位置と治勢
 
  淡路島の中央部に位置する本市は、本州と四国を結ぶ大動脈である神戸淡路鳴門自動車道が南北を縦断するほか、島内の幹線である国道28号や主要地方道の県道洲本五色線、鳥飼浦洲本線などが地域拠点間を結んでいるなど、交通要衝として重要な地位を占めています。
 
  市の総面積は182.38平方キロメートルで、淡路島(595.99平方キロメートル)の約30.6%、県土の約2.2%を占めています。
 
  地形については、中央部の先山(標高448メートル)を中心にした山地が続き、その東側の洲本市街地には平野が広がり、島内でも有数の流域面積を誇る洲本川が大阪湾に注いでいます。また、西側の五色地域にはなだらかな丘陵地帯が広がっており、農業用ため池が点在しています。
 
 市域内には、三熊山や五色浜など、瀬戸内海国立公園の指定地域として、豊かな自然環境が維持されています。
 
 東に大阪湾、西に播磨灘を臨む市の気候は、温暖で降水量の比較的少ない瀬戸内海気候に属しています。年間平均気温は15.2℃、年間平均降水量は約1,635mmとなっているほか、日照時間は年間平均約2,010時間に達しています。
 
  ichizu
 
 
    
 
  原始・古代
 武山遺跡をはじめとして、縄文、弥生時代の遺跡が数多く存在するなど、古くから人々の営みが盛んな地域でした。また、本市が位置する淡路島は、御食つ国(みけつくに)の一つとして、山海の幸を大和朝廷に献上した食材の宝庫であったほか、古くから畿内と四国を結ぶ交通の要衝として位置づけられていました。由良は、海路和歌山を経て、平安京に至る駅路の中継地として栄えたほか、本市内各地に駅馬が置かれました。
   
中世・近世

 平安後期以降、本市の多くの地域が荘園となりました。中でも、石清水八幡宮領であった鳥飼荘では、石清水の別宮として鳥飼八幡宮が建てられるなど、荘園の中でも重要視されていたと言えます。
 室町時代末期には、熊野水軍の安宅氏によって三熊山に洲本城が築かれ、安宅一門が淡路島一円で権勢を誇りましたが、数々の政変によって弱体化し、豊臣秀吉の淡路攻めによって征服されました。
 江戸時代には、淡路国は阿波国とともに、徳島藩主蜂須賀氏の支配下におかれました。当初は、由良城が淡路の政治を司る場所でしたが、洲本城(下の城)に蜂須賀氏家臣の稲田氏が代々居城するようになり、島内の統治を行いました。以降、洲本が本市ならびに淡路全域を支配する拠点となり、城下町を形成しました。
 一方、由良港は島内の海運業の中心地となり、江戸時代には、大坂(大阪)江戸間の基幹航路の重要な寄港先として栄え、西日本の海運ルートの中継点としてにぎわいました。
 また、この頃、五色地域で生まれた高田屋嘉兵衛は、辰悦丸を建造して、蝦夷地に可能性を求め本格的な海運業を始め、今日の北洋漁業の先駆となりました。
   
近代
 明治4年の廃藩置県により、淡路島は兵庫県と徳島県に分割され、その後、名東県となり、明治9年には全島が兵庫県の管轄下となりました。
(洲本地域) 
 明治22年の町村制実施に伴い誕生した洲本町では、裁判所や税務署などが設置され、引き続き行政の中心地としての地位を保持しました。また、明治後期には、洲本川の改修により、洪水からの安全性の向上ならびに洲本港の近代化が図られ、旧洲本川の埋立地には紡績工場が建設され製造業が勃興するなど、商工業の中心としての役割も高まりました。大正末期には洲本と福良との間に島内唯一の鉄道が開通するなど、名実共に淡路島の中心として繁栄しました。このほか、神戸や大阪との間に航路が開設され、大浜海岸での海水浴や三熊山からの展望など、風光明媚な景観や豊かな自然を求め、多くの観光客が洲本港に降り立ちました。洲本町は昭和15年、兵庫県で6番目に市に昇格し、その後は数度の合併を経て昭和32年に旧洲本市域となりました。戦後は、昭和30年代には電池工場を誘致するなど、新たな産業も創出されています。
(五色地域)
 一方、五色地域では、明治22年に都志村、鮎原村、広石村、鳥飼村、堺村が誕生し、うち、都志村は村勢拡張のため大正13年に町に昇格しました。その後、これら5町村が合併し、五色町が誕生しました。なお、「五色町」という名称は、5町村が一体となって自治の向上発展を目指し、住民の福祉増進を祈願する象徴として、また、字句が簡単明瞭で文化的な印象を与えるとして選ばれました。
   
現代

 淡路島全域でインフラの整備が進められ、昭和60年の大鳴門橋開通、平成10年の明石海峡大橋開通により、淡路島は本州、四国と「陸続き」になりました。それにより、本市は島の中核として、島内外の人・もの・情報が集まる重要な拠点となっています。
 
  本市では、恵まれた自然や都市機能の集積を生かしながら、人と自然が共生する健やかで安心できるまちづくりを進めています。
  また、市の持つ地域資源を生かした交流を通して、地域の活性化を図ることにより、誰もが洲本を訪れてみたい、住んでみたい、住み続けたいと思える魅力あふれる地域をめざすとともに、市民の一人一人がそこに住むことに誇りと愛着を持っていただけるような「笑顔あふれる洲本市」の実現をめざしています。
 
 
  シンボル
 
  市の花
  「水仙」 すいせん
「菜の花」なのはな
  (平成19年3月23日制定)
  suisen
  nanohana
  市の木
  「松」まつ
  (平成19年3月23日制定)
  kuromatu
 
  市の鳥
  「千鳥」ちどり
  (平成19年3月23日制定)
  chidori
 
  市の魚
  「鰆」さわら
  (平成19年3月23日制定)
  sawara
 
 

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