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寛永8年(1631)から行われた城下町建設時の石切場として利用されたのち、徳島藩の筆頭家老稲田氏の別荘(西荘)の庭として作庭されました。
嘉永7年(1854)、稲田氏の私塾学問所を西荘に移し、それ以後益習館と呼ばれるようになりました。
明治3年(1870)の庚午事変により、建物は焼失しましたが、庭だけが当時の面影を残しています。
曲田山山麓に作庭された庭園は、東西に長い池泉を穿ち、山側護岸に和泉砂岩の巨石を用いた池泉回遊式庭園です。
高さ4mを超える山側護岸の巨石は、庭園石材としては日本最大級のものです。
巨石を中心として造営した作庭技術や意匠が、全国的に見ても特異な特徴を有する優れた庭園ということもあり平成31年2月に国名勝に指定されました。